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● 性別
男性
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兵庫県

デイリースポーツがお届けする、プロレス・ボクシング・格闘技・etcの総合情報サイト「特選格闘技」スタッフの一人。神戸本社に勤務しており、関西での興行やイベント等には自ら足を運んで取材することも。ブログのタイトルは、プロレスの「ロープブレイク」と“ほっと一息”の「ブレイクタイム」を合わせたもの。ニュースの補足やちょっとした裏話まで、様々な話題を更新していきます。

ビリーケン・キッド、運命のハブ男戦へ~インタビュー<前編>

2011年1月21日 17:12

 

a-1.jpg 今週の日曜日(23日)に、大阪プロレスのビリーケン・キッド選手の初の自主興行が行われます。選手の自主興行自体は今や珍しくもないのですが、そのメーンのカードにファンは仰天しました。

 


 「ビリーケン・キッドvs怪人ハブ男(沖縄プロレス)」


 

 かつて、大阪プロのリングで名勝負を繰り広げた2人。その時のハブ男選手は「スペル・デメキン」「ゼロ」などのリングネームでした。それだけを聞くと、よくある"ライバルの再戦"の話...なのですが、そんなに簡単な話ではありません。大阪プロと沖縄プロ。本来は"兄弟団体"のはずですが、現在はとても微妙な関係になっています。もう実現は困難と思われていたカード。この一戦は、大きな大きな意味を持っているのです。

 


 運命の一戦を前にしたビリー選手から、その思いを聞くことができました。その記事は、21日付けの「特選格闘技」および「デイリースポーツonline」で配信されました。

 


◇ビリー、ハブ男との再戦へ胸中語った
http://www.daily.co.jp/ring/2011/01/21/0003752533.shtml

 


 今回は取材の際にロングインタビューを行い、ビリー選手と大阪プロ側に了承を頂き、その全てをここに掲載します。ハブ男戦への思い、そして団体のエースとしての苦悩。ひとりのプロレスラーの生きざまが伝わってきます。プロレスファン、ビリー&ハブ男両選手のファンの方はもちろん、全ての人に聞いて欲しい、熱い思いを受け止めてください。


  ◇   ◇

 

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◆初めての自主興行、チケットは完売

 

――昨年は王座陥落でのシングルベルト他団体流出、怪我と手術による長期離脱、天王山トーナメント1回戦敗退と、ビリー選手にとって試練の年でした。

 

 「あまりいい思い出のない年でしたね(苦笑)。今年は...ハブ男との対戦があるので、モチベーション的には"やらねば"という気持ちで。毎年この時期はハリケーン(大阪ハリケーン=大阪府立体育館大会。近年は2月に行われていたが今年は時期がずれている)に向けて...という感じで、会社やファンの期待を背負ってって感じなんですけど、今回は僕個人的な戦いかなって思うんですよね。」

 

――自主興行を発表された当時は、ビリー選手の体調に不安があった(ヒザの手術から復帰した直後)みたいなのですが、現状はいかがですか?

 

 「不安が全く無いと言ったら嘘になります。でも発表当時に比べたらだいぶ、体も気持ちも良くなったと思います。でも、気持ちのほうは日々変わるので(笑)。体のほうは確実に良くなっているのは感じます。ただ油断して痛い目に遭わないようにしないと。(ケガ再発の)恐怖心は常にありますね。...自主興行は色んなことに気を遣わないといけないので...初めてのことなので。リングに上がるまでが落ち着かないですね。勉強になりました。会社というもの、試合に集中できる環境がどれだけありがたいかを感じました。」

 

――チケットも完売しました。

 

 「実は2カ月前に売り切れてました。キャンセルが怖いので黙ってたんですけど(笑)。案の定チョコチョコっとキャンセルが出ているのですが、10枚20枚という単位ではないので。まだ(メーンの)「ビリーケン・キッドvs怪人ハブ男」のカードしか発表されていない段階で完売したというのは、僕らが今までやってきたことが認められたというか、知らない人も期待してくれてるのかな、って。さっき(試合後の売店)もお客さんが、沖縄プロレスを見に行った時にハブ男選手を見て"ビリーさんとハブ男の試合が見たいな"と思った、と。僕らのいきさつは全く知らないでそう思ったらしいです。そんなカードが実現できたというのは...。阪上(雄司=大阪プロレス)会長、スペル・デルフィン(沖縄プロレス)社長には心から感謝しています。」

 

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◆ハブ男への思いは「嫉妬」

 

――ハブ男選手との対戦についてお聞きします。やはりビリーケン・キッド選手初の自主興行のメーンはハブ男戦でないといけない?

 

 「自主興行をやると決めたとき、対戦相手は誰にするか全く見えなかったんですね。そんな時に彼から電話があって。喪中なので年賀状出せません、って内容だったんですけど。その時に自主興行をやりたいと伝えたら"ぜひ自分も(出たい)"と。だったらこれ、シングルでやれるのかな...って。まだ会場も押さえてなかった時だったんですが、それで"自主興行、これでいける"という確信が生まれましたね。それまで自主興行の会場使用の抽選に、ずっとハズれてたんですよ。でもハブ男と話をしてから当選した。そういうタイミングもありました。抽選に早く当たってたら違うカードになってたかも。神様がハブ男と戦うチャンスを与えるために、抽選をずっとハズしてくれたんでしょう(笑)。」

 

――ビリー選手にとって、やはりハブ男選手というのは特別な存在なのでしょうか。

 

 「そうですね。誰が見ても凄い選手だったですし、どんな選手と戦っても相手を光らせて、そして自分も光って、勝つ。僕からしたら彼のプロレスセンスとか運動能力とか、うらやましい部分が沢山ありました。ジェラシーとういう感情が生まれるぐらいの。」

 

――目標というよりは「嫉妬」だったと。

 

 「目標といったら、僕が下から見ることになるので。同じ目線というか...(沈黙)、やっぱライバルというのは目標ではないと思うので。目標とは思いたくないですし、言いたくないですね。」

 

――ビリー選手は大阪プロのトップレスラーになりました。そんな今でも、ハブ男選手への嫉妬心を持ち続けているのでしょうか。

 

 「(ハブ男は)沖縄に行って、日の目を見る機会を失ったと思ったんですよ。でも彼は実力で東京の団体に上がってタッグのチャンピオン(2010年にゼロワン参戦、NWAインターナショナルライトタッグ王者)になって、トーナメント(同、天下一ジュニア)でも準優勝して。誰が見てくれるかもわからない状況の中でも腐らず、日々自分を磨いてチャンスをつかんだ。...それは...何でしょう、嬉しい?ちょっと違う...凄いなあと...いや悔しいですね。負けてられるか、という。今でもハブ男が大阪にいたらどうだったんだろうって時々考えますし。自分がメーンのリングに立っているんだろうか、と。時々"ハブ男がいた頃の大阪プロは面白かった"とファンから言われることがあります。素直な感想だと思うのですが、自分たちじゃ物足りないのか...って悔しさは生まれますよね。それだけ大きな存在だったということは誰もが認めるところですけどね。」

 

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 インタビューは後編に続きます。